創業のきっかけは突然訪れました。
現在スタディストの代表を務めている私鈴木は、起業するまで「いつかは起業する!」「事業を立ち上げる!」などと思ったことは、一度もありませんでした。

しかし、あることをきっかけに挑戦機会を得て、現在に至ります。ここでは紆余曲折あって今に至る「スタディストの軌跡」をご案内します。

創業前 インクス時代

私が勤務していた前職、株式会社インクス(現SOLIZE株式会社)では、製造業向けのコンサルティングをしていました。
コンサルティング事業は順調に成長し、私も多くの大手製造業の業務改善コンサルティング案件に携わっていました。
私たちはコンサルティングの成果としてシステムを開発し、お客様にお納めするのですが、お客様が必ずリクエストしてくることがありました。

「システムの操作・運用手順書も作成・納品してくださいね。」です。

当時、手順書を作成する手段といえば「Word、Excel、PowerPoint」しかなく、作成も大変、作成フォーマットを揃えるのも大変、データサイズが大きくなりすぎるとファイルを開くだけで数分待たされました。

現場作業のマニュアル作成は、デジカメとパソコンでのデータのやり取りも大変でした。SDカードをパソコン、デジカメから入れたり、出したりの繰り返し。作業現場がオフィスから離れていて、大事な現場写真を撮り忘れてしまったりすると、遠い距離をもう一回移動しなければならないなど、本当に大変でした。

すでに完成している手順書の改訂も、手順と手順の間に追加の手順を追加することも全体の構成がずれるため、めんどくさい作業でした。

閲覧側も、ハードディスクドライブの中から自分がみたい手順書ファイルを見つけるのも大変でしたし、ファイルを見つけられたとしても膨大なページの中から、自分が見たい箇所を探すのも大変でした。
もし、該当するページを見つけられたとしても、Word、Excel、PowerPointで作られた文字ベースのマニュアルにうんざりするだけでした。

このように「作成大変。改訂大変。閲覧大変。管理大変」の四重苦を約10年経験していたのですが、当時はこれが当たり前、普通だと思って過ごしていました。

iPhoneの登場と日本発売

そんな時、2008年iPhone 3G(以下iPhone)が日本で初めて発売(発売日は2008年6月9日)されるという発表をニュースで目にしました。
最新ガジェット大好きの私は、発売初日は関東エリアでは争奪戦が起きて、端末を手にすることはできないだろうと読み、広島に飛び、無事に発売初日にスマートフォンという新しいタイプの「おもちゃ」を手にしました。

初めてiPhoneを手にしたときに感じたことは、「写真も撮れる。テキストもかける。インターネットにもつながっている。」iPhoneだけでマニュアルの作成ができて、閲覧ができて、改訂が簡単にできたらどれだけ楽になるだろうか?ということでした。

四重苦から解放される。

当時のクライアントであった製造業のお客様も「マニュアル、マニュアル」と言っておられるということは、そんなプロダクトがあったらニーズはありそうだな、ということをぼんやりと感じた程度でした。
この段階では、サービスを開発して提供側になろうとは全く考えていなかったわけです。

転機 リーマンショックと民事再生

ほどなくして、米国でくすぶっていたサブプライムショックで2008年9月15日にリーマン・ブラザーズが経営破綻。
日本国内の製造業の業績も大きく傾き始めます。コンサルティング案件が続々と蒸発し、在籍していた株式会社インクスの業績も影響を受けました。結果的に、株式会社インクスは2009年2月に民事再生を申請し、絶頂からどん底へと状況は大きく変わりました。

詳しく語ることはできませんが、会社が民事再生になるということがどういうことか?をこのとき社員として経験させてもらいました。当時多くの取引先様にご迷惑をおかけしましたが、現在のスタディストの企業運営で当時の民事再生の記憶が活かされています。

民事再生になったあと、しばらくの間、私は日常の光景がグレーに見えました。仕事をする活力が減り、下を向いた人ばかりの状況。この状況を打破したい。本当にそう思いました。

もっと活力がみなぎる社会にしたい。

その挑戦を、このまま在籍していたインクスに残って実現するか?自ら会社を作りチャレンジするか?
二つに一つでしたが「一回きりの人生、機会は今しかない。チャレンジしてみるか」ということを感じ始めていました。

飛び込むと決意 やってやれないことなどない

当時、コンサルタントとして一定の自信があった私は、同じプロジェクトで一緒に働いたことがある庄司(現在、当社副社長)に声をかけ、「一緒に起業しないか?」と話を持ちかけました。
まずは私一人で会社を立ち上げ、事業を創り、二人の家族が生活ができる程度のビジネスと売上が立ってから、当社に合流してほしいという内容です。

明確な事業が決まっていたわけではありません。
でも、当時のリーマン・ショック後の閉塞感に嫌気が差していた私と庄司は、「やってやれないことなどない」「もし失敗しても死ぬわけじゃない」という思いがあり、二人で資金を出資して会社を登記しました。
不安がなかったかといえば嘘です。まさに「エイッ」と飛び込んだ感じでした。

神田ビジネスセンターのオフィス写真

創業 ビジョンの策定

庄司とともに最初に着手したことは、事業アイデアの検討でもなく、ビジネスの検討でもなく「スタディストを何のために存在する企業とするか?」ということでした。

戦国時代の武将が好きな私は「なんの事業をやるか」よりも、企業として「なんの旗を掲げるか」の方が大事でした。
存在理由という軸が決まらなければ事業は定められない。本気でそう思っていました。

ビジョン(旗)のベースになったことは、前述の通り「リーマン・ショック後の社会を覆っていた閉塞感を吹き飛ばし、もっと活力がみなぎる社会にしたい」ということでした。

人々の活力を引き出し、成長に貢献したい。成長を志す人々が増え、成長した人々の集合体が大きくなれば、結果的に社会に活力をもたらす。
我々はその成長を阻害するものを減らすことに役立つ事業を創るのだ!と熱く語っていたことを思い出します。

1ヶ月間ぐらい秋葉原にあるスターバックスで議論を尽くしました。
その結果定まったビジョンが、「知る、考える、作り出す喜びにあふれた知的活力みなぎる社会をつくる」です。

集まる仲間たち、ミッションの策定

ビジョンが定まったら、「さて、ビジョンに向かって何するか?」です。
3番目のメンバーとして合流した吉田と庄司、そして私の3人でミッションとビジネスアイデアの議論を繰り返しました。

議論を尽くした結果、「ビジョンに繋がっていて、かつ我々自身に痛みの原体験がある課題を解く事業が良いだろう」ということに行き着きます。

手順や方法を他人に伝えることを、もっと簡単にしよう。すでに他者が知っている手順や方法を早く知ることができれば、人の成長が早くなる。余剰時間をもっと活力あることに活かせるはずだ。

そう思って掲げたミッションが、
伝えることを、もっと簡単に。」
でした。

このミッションを実践する手段が、「Teachme」という事業アイデアです。「あなたが知っている手順や方法を、私にわかりやすく教えて」という意味を込めて「Teachme」と名付けました。

余談ですが、当初のミッションの先頭に「手順や方法を」という文言がついていました。
当時、デザイン業務を支援していただいていた織田さんという方に名刺のデザインをお願いした時に、「手順や方法をもっと簡単にするというミッションが達成されたら、スタディストは目標達成、終わりですか?」と言われました。

その時、わたしはこう思いました。
たしかにそうだ。いまは「手順や方法の伝達」の課題を解決することに取り組もうとしているが、人間はコミュニケーションの生き物。様々なことを伝えて日々生きている。
伝えることを、もっと簡単にというテーマは、「手順や方法」だけに留まらない。

織田さんのコメントを受けて、もっと自分達の可能性を広く見なければいけないということで、スタディストの事業拡大可能性を考慮して「手順や方法を」という文言を消し、「伝えることを、もっと簡単に。」にしたという経緯があります。当時の織田さんのアドバイスには心から感謝しています。

「手順や方法を」にこだわったミッションにしていたら、2022年現在展開している「Hansoku Cloud」事業、「コンサルティング」事業は生まれなかったかもしれないと思います。

開発はどうする?自ら創ることを選択する。

さあ、ミッションと目指す事業が定まった。事業のコンセプトも定まった。さて、開発はどうする?という段階に差し掛かります。

事業アイデアに共感して、即決で合流を決意してくれた4番目のメンバー豆田、5番目のメンバーの平山、6番目のメンバーの磯野の合流と続々と仲間が増えていきました。しかし、当時のスタディストメンバー6人全員が元コンサルタントでした。

目指す事業はインターネットサービス(2010年当時SaaSという言葉はなかった)。当然サービスの開発はどうする???という壁にぶち当たります。

開発を外部に委託するという選択肢もありましたが、自らが理想とするプロダクトは、自ら開発したほうが良い結果が得られるはずという選択をします。
知人の方々に、Webアプリの実装方法、iOSアプリの実装方法のアドバイスを受けつつ、同時に開発書籍をひたすら読み漁り、書籍に紹介されているサンプルコードを書き、デプロイするというとてつもなく地道な繰り返しで実装力を高めていきました。

当時のコンセプト図
皆でコード書いている様子

同時に、ロゴを決めたほうがいいだろうということで、また、ランサーズでロゴ案を募集し、「Teachme」のロゴも決定しました。(後日取材いただいたランサーズの記事
また、UI/UXの専門の方にペーパープロトタイピングの業務を委託し、基本のUIを固めていきます。

ペーパープロトタイプでテストしている様子

Webアプリは吉田がRuby on Railsで実装し、代表である私も平山とともにX CodeでObjective-Cのソースコードを書き続けました。磯野はAndroidのソースコードを書く技術を学んでいました。
初心者集団での開発ですから当然簡単にはいきません。通信部分の実装、データベースの実装など、当時の私達にはわからないことばかりです。

鈴木がX CodeでiOSアプリを開発している様子

さらに、日中は全員がコンサルティング業務で皆の給与と「Teachme」の開発資金を稼ぎ、夜と週末での実装ですから、開発が思うように進まない時期もありました。
終わりのないトンネルを皆で走り続けている感覚に近かったと思います。

Webアプリ初期の画面(Webアプリ、iOSアプリ)
iOSアプリ初期の画面

2年目に黒字化したが道を誤ると判断し、受託事業を縮小

当時「Teachme」の開発状況とは裏腹に、コンサルティング事業案件は順調に増え、売上は伸びていました。日中は皆が日本全国に飛び、コンサルティング受託で稼ぎ、夜はSkypeでつなげて皆で新規事業の議論をする日々です。

コンサルティング受託業務が終わった後の買い出し
お互いの位置を共有していたGoogle Latitude

気づけば創業二年目でコンサルティング事業だけで1,000万円の経常黒字になってしまいました。当時のわたしは「このままではやばい」と思いました。

コンサルティングの受託をやるために会社を作ったわけではない。

ビジョンとミッションの実践のために企業はあるのであって、メンバーもコンサルティング受託をやるために集まったわけではない。目指すもののためには、コンサルティング受託をこれ以上手掛けてはいけないということで、それ以上の拡大をすっぱりやめることにしました。

当時、当社を支援してくださっている方々からは、縮小はまだ早いというご意見はあったのですが、新規事業の開発が進んでいない中でこれ以上誤った道は進めないと腹をくくったわけです。

当時は、日本政策金融公庫の融資に大変助けられました。コンサルタント受託を縮小した影響で口座残高30万円まで追い詰められましたが、デッドでの資金調達のおかげで無事に乗り切ることができました。あのときの融資以降、資金で悩まされることは無くなったので本当に感謝しています。

実験プロダクト「Markee」のチャレンジ

先述のようにスタディストの創業メンバーは、全員がコンサルタントだったので、いきなり「Teachme」を市場に投入したときに、何が起きるのかという知識も経験もなく、肌感覚を持っていない。ユーザーとのコミュニケーションの仕方もわからない。
この圧倒的な経験不足は、いずれくる「Teachme」の事業展開上かならず大きなリスクになると考えていました。

では、実験プロダクトで自ら体験しようということで挑戦したのが「Markee」というiOS限定の無償アプリでした。
ゼロベースで開発したものではなく、「Teachme」の1機能であった画像にマーキングする機能だけを切り出して、アプリケーションとしてリリースしただけでした。

当時、マーキング専用アプリで有名な「Skitch」の iOS版が世に出ていなかったこともあり、「Markee」ブロガーの間の口コミで広がっていき、Appleのストアでダウンロード・ランキング6位まで登ったこともあります。

スタディストのメンバーが口コミの威力を目の当たりにした実験プロダクトでしたが、ユーザーにプロダクト価値が受け入れられると、こんなにも大きな加速度がつくことを目の当たりにしたのです。
このブロガーの皆様との接点が「Teachme」リリース後の初速を高めることにも繋がってくれました。
※「Teachme」のリリース後、実験プロダクト「Markee」の開発・提供はストップしました。

Markeeのブログ記事
https://www.appbank.net/2012/07/28/iphone-news/448074.php
https://www.appbank.net/2012/07/29/iphone-news/448533.php

Markeeの画像

「Teachme」リリースと挫折

開発での悪戦苦闘、コンサルティング受託での開発資金捻出、Markeeでの経験を経て、「Teachme」を世に出したのは2012年12月7日です。

当初は「Markee」で接点があったブロガーの方々がブログで紹介してくれた影響で静かに広がり、さらに「Tech Wave」というメディアでプロダクトを取り上げていただいたあたりから、徐々にサービスへのアクセスが増えていきました。
このまま成長軌道に乗るか?と淡い期待をもっていましたが、事業は軌道に乗ることなく、全く収益化できませんでした。

展示会に出展したり、ネイルのコンテストやキャラ弁等の作成手順の共有コンテストで「Teachme」を使って利用シーンの開拓などを試みたり、千代田区のベンチャーイベントに応募して受賞したりと、あの手この手と試行錯誤の手を打ちましたが、全く結果が出ない日々が9ヶ月ほど続きます。

いわゆるベンチャーの悲しみの谷です。
個人でもビジネスでも両方使えるプロダクトという中途半端な立ち位置が影響し、有償版の企業内でのマニュアル作成・共有用途で導入しようとする企業はほとんど現れませんでした。

リリース直後の「Teachme」
当時の展示会ブース

「Teachme Biz」で再チャレンジ

このままではスタディストは存続できなくなってしまうという危機感を素直に受け止め、2013年5月あたりに「二兎を追う」ことをやめる決断をします。

個人とビジネス、どちらのシーンであっても「ビジュアルベースの手順書の作成・共有が簡単にできます」という「Teachme」をやめて「ビジネスユース」に特化したのです。

ロゴも変更、プロダクトの名称も「Teachme Biz」に変更して、再挑戦したのが2013年9月19日でした。同日、日経産業新聞、IT Proにも掲載していただきました。これらのメディア記事を見てくださった企業から「Teachme Biz」の問い合わせが入り始め、有償で「Teachme Biz」を利用してくださる企業が増えていきました。

このピボットがなかったら、現在のスタディストは存在しませんでした。柔軟に状況を見ながらやばいと思ったら瞬時に事業を変えていくことの大切さを知る出来事でした。

2014年11月 はじめての資金調達

「Teachme Biz」事業にピボットして1年の期間が経過しても、当時はいまだ大きなグロースのきっかけは掴めていませんでした。
それでも悪戦苦闘しながら有償導入企業数が50社を超えたあたりからデッドでの資金調達では思い切った投資ができないことに悩まされます。これを解消し、事業拡大スピードを上げるためにエクイティでの資金調達を考え始めたのが2014年です。

当時は、今とは違い資金調達が簡単にできる環境ではなかったのですが、日本ベンチャーキャピタル様とのご縁をいただき5,000万円を調達しました。調達した資金を原資に事業拡大のためのメンバー採用を開始、当社初の広報担当として朝倉が合流します。

また、のちに事業成長を加速してくれることになる「Teachme Biz」導入事例の動画制作も積極的に開始しました。
初の「Teachme Biz」導入事例動画「hototo」
当初は、1件だけ制作するだけの予定であった事例動画ですが、のちのち「Teachme Biz」の導入社数を増やすための最大の強みとなります。

「Teachme Biz」を導入するとどんな状態に変わるのかを、当社が語るよりもお客様に語っていただいたほうが効果があることを実感した出来事でした。

メンバーの集合写真(2015年4月)

成長のきっかけを掴む

「Teachme Biz」事業が大きなグロースのきっかけを掴んだのは2015年です。すでに、サービスのローンチから2年が経過していました。
1月に損保ジャパン日本興亜様に「Teachme Biz」を導入していただき、2015年4月に行われた三菱UFJ銀行主催の「Rise Up Festa」で優秀賞を受賞。

授賞式の様子

その後、朝のニュースNHKの「おはよう日本(2015年)」やテレビ東京の「WBS(2016年)」等に「Teachme Biz」が取り上げられました。また、日経ビジネスの「フロントランナー」というコーナーにも取り上げていただき、多くの企業から問い合わせをいただくようになりました。
いずれも事業成長に加速がついたことを肌で感じることができた出来事でした。

当時のスタディストのメンバー数はたったの9名で、導入社数900社までこの体制で粘っていましたが、「Teachme BizのPMFを達成した」と判断して、ビジネスサイド、エンジニアサイドのメンバー採用拡大に大きくカジを切り始めました。

また、この頃わたしも開発から完全に手を引く決断をして、MacBookProから開発環境のXCodeを完全削除、専任の開発メンバーに委ねることにしました。
モノを生み出すスキルを手放すことになるので一抹の寂しさはありましたが、自分が造るものを「ソフトウェア」から「事業・会社」に変えなければいけないタイミングなのだ、それが会社の代表である私の役割分担なのだと自分を納得させたことを覚えています。

メンバー数推移のグラフ
2016年の展示会出展の様子

2017年 地方銀行様との提携加速

当時の金融庁長官黒田氏の発言に関する記事を見たことをきっかけに、地方の有力地銀と提携し、日本全国の企業へ「Teachme Biz」を広げていくことを目指しはじめます。

企業が、生産性を向上させるためには、手順を標準化・可視化して、作業現場で再現できるようにすることこそ重要であるという信念を持って取り組んだ結果、2017年8月に千葉銀行様、四国銀行様との提携が実現します。

地方銀行との提携が功を奏し、「Teachme Biz」の導入企業数は急激に伸び、売上も成長していきました。
現在では、銀行様との提携は日本全国36行との提携にまで発展し、地方の企業様に「Teachme Biz」をお届けしていくための重要なパートナーとなっています。

ちなみに、急激な顧客増加に伴ってチャーンレートが一時的に3%弱に急上昇するという副作用も起きました。
この時、「カスタマーサクセス」部門を新規に設立して、お客様の成功に向き合う体制を整え、メンバーの努力の成果で現在では1%を切る水準で安定しています。

誰も取り組んでいない、新しいチャレンジには想定外の副作用も伴いますが、課題を克服することで、新しい強みを獲得できるチャンスになるということをスタディストに教えてくれた機会になっています。

タイ バンコクに進出

「Teachme Biz」を開始した当初から日本企業が海外に進出したときに、日本企業の現地での人材育成の効率化のお役に立ちたいと考えていました。この構想を実現するために2018年10月にタイ・バンコクに現地法人を設立し、事業を開始しました。

スタディスト入社4番目のメンバーである豆田が現地のトップとして、悪戦苦闘を繰り返しながらも3年半で黒字化ラインに到達。

現地での「Teachme Biz」説明会の様子
タイのオフィス

新規事業「Hansoku Cloud」への挑戦

「Teachme Biz」事業が成長軌道を描くなか「手順や方法を簡単にする」ことにこだわらずに「伝えることを、もっと簡単に。」できる新たな事業機会を模索していました。

そんな時に出会ったテーマが、「小売業の店頭の状況、商品の陳列状況」を伝えることを、もっと簡単にするというテーマでした。「Teachme Biz」の導入企業社数が2番目に多い小売業のお客様に対するクロスセルプロダクトです。

事業企画、プロダクト開発は、事業責任者の金子とプロダクト開発責任者の松村主導で進みました。できるだけトップ主導ではなく、メンバーに任せるスタイルでの実行にこだわっていたので、無事にローンチできたことが本当に嬉しかったです。

2年間の企画・開発の期間を経て2020年11月19日に、スタディスト初のVertical SaaS「Hansoku Cloud」をローンチしました。私にとっても、ミッションの先頭に「手順や方法」という文言をつけなかったこだわりの成果をようやく実現できた出来事でした。
スタートしたばかりの事業ではありますが、今後が楽しみです。
(「Hansoku Cloud」のプロダクトビジョン、プロダクトミッションはこちら

「Hansoku Cloud」事業部の発足時メンバー

成長戦略

当社の成長戦略の基本は、様々な業種のお客様に「Teachme Biz」を軸にしたHorizontalなプロダクト&サービスをお届けし、業界ごとのお客様の課題の声に耳を傾け、事業機会を見つけていくことです。
事業機会を見つけ、「Hansoku Cloud」のような業界特化型のVerticalプロダクトを開発し、海外展開が可能なプロダクトはGlobalに展開することで貢献規模を拡大していきたいと考えています。
これを我々は3軸経営と呼んでいます。

今後も「伝えることを、もっと簡単に。」できる多くのテーマを見つけて、解決に挑戦し、スタディストのストーリーを紡いでいきたいと思います。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

3軸経営のイメージ図